5月2日、五月晴れの中、30年ぶりに母校の小平市立小平第三小学校に行ってきました。
ちょうど私が6年生だった30年前(歳がバレますが・・・)、開校100周年を記念し、タイムカプセルを埋めたのでした。当時30年後なんて、想像できないくらい先のことだったのに、あっというまに今日を迎えたような気がします。しかし、この30年は、学生を10年、社会人として働くこと約14年、主婦兼母親業を約6年です。あっというまのようでも、こうやってその時々を思い出すと長い、重いものです。ことあとの30年後は、母の亡くなった70歳を超えてしまいますから、一日一日やりたいことをやろうと改めて思います。
さて、何を入れていたかさえ思い出せず、どんな12歳の私がでてくるか楽しみに参加しました。ステンレスのタイムカプセルの中からは、全く色あせることなく、30年前の品々がでてきました。6年生は、林間学校の思い出を版画にしていました。描いた絵ではなく、版画だったかと思い出しました。
30年ぶりの友人との再会もまた楽しいものです。私だけでなく、みんなだいぶふっくらした体型となり、貫禄もましています。特に、私よりも小さく華奢だった男の子たちが、大きく成長し、おじさんの仲間入りをしていたのには、驚きました!!中学から女子校に行った私には、男子が成長していく過程を見ておらず、ただただびっくり。私には弟がいますが、だんだん成長していくのを見ているのと、突然成長後を見るのとでは大違い!ほんとに驚きました。(笑) 私にむかって「縮んだ~?」という友多数。みんなが大きくなったのです。
5月4日付けの朝日新聞天声人語にもこの大同窓会が紹介されていました。記者の方もかかれていますが、やっぱり30年後でよかったと思います。50年後でもなく、10年後でもなく、人生の折り返し地点にいる、今でよかったと。
残念ながらすでにこの世を去った友がいることがわかりました。その子の笑顔は、今でも12歳のまま心の中にあります。担任の先生にもお会いできませんでした。同窓会の開催は先生ご健在のうちに一度はやりたかったです・・・。
全員での校歌斉唱では、また別の友と全く同じ顔の少女を発見。すぐに友の子どもとわかります。30年ぶりでも、6年間歌った校歌はスラスラ歌えるものです。親子で同じ学校に通える友人たちがうらやましいです。転勤族で遠方に住む私には、GW中に開催していただいたことで参加できました。ボランティアの実行委員の皆さん、本当にありがとうございました。また何年後かに元気な顔で集まりたいですね。
大同窓会から帰って、卒業アルバムを開きました。文集にかいた私の将来の夢をみてみると・・・、人のためになる仕事をしたい、友達をたくさん作りたい、外国に行きたいの3つでした。まずまず、そのせんでいけてるのではないかなぁ・・・と。さぁ今年もがんばろうっと!気持ちを新たにしたGWでした。
20歳と18歳の娘たちが それぞれの道を歩みだしました。
今まで使ってきたタンスを処分することになった時、落書きしたら楽しいかもと アドバイスしてくれました。
子どもはローラーやハケやクレヨンを使い思う存分「落書き」を楽しみました。
娘たちとともに過ごしたこのタンスは、このような形でさよならできました。

今回 西田講師が招かれた幼稚園の講演に参加しました。
94名の幼稚園教諭が参加され 色彩心理への関心が高いことが伺えました。
on /off の気持ちを色で表わすことから始まり、ことばのカードを使ったカラーワークショップが始まりました。
先生たちは、いつも色や形の中で過ごしておられるので積極的に画材を手に取られ、スムーズに進む様子は、さすがと思いました。
年齢層も幅広く 私の子供と同世代の先生から 経験豊かな先生まで幅広い年齢層が見受けられました。それぞれ個々の立場で ご自分の色彩についてのお話をされました。
それから 西田さんのお話は 画家の絵や絵本、広告の色彩から 親子のぬり絵に至る様々な資料から 色と心のつながりのお話がありました。
アンケートにぎっしりと書かれたご感想を頂いたことは、先生方は子供たちとかかわっておられる立場からや また ご自身への気づきや意外な発見の様子もあった事が伺えました。
最後に 子供の活動現場から原も報告させていただくことができ このブログに書かきました男の子とのかかわりを述ました。
その子のお母さまから、「どのような子供でも 小さな時の受け止め方が将来に続きます。先生方に伝えて頂ければうれしいです。」とおっしゃったことばをお伝えしておきます。
西田さん この場を借りましてこのような時間を設けていただきましたこと 本当にありがとうございました。 そしてお疲れ様でした。
それから私も新たな素敵なお話に感動した一人でした。
今後もこのような機会を通して、色彩セラピーへの関心が増えることを願いました。
縁あって プリント加工業の現場で 職人さんに接している。
デザイナーのパターンにプリントを施す作業である。シルクスクリーン技法で仕上げ またはそこにホログラムを貼ったり スパンコール ビーズを施す作業もあり多種多様の加工を行っているそして 縫製工場にに配送され製品となる。
職人さんの機会のように動く手で 何千枚、何百枚もの生地にプリントが行われる。
同じリズムの体の動きとスケージの角度は一定であり 機械よりも柔らかく 人間の手の味わい、風合いがプリントされる。
それぞれの職人さんの微妙な個性と確かな技術が形となり、製品になる。
京都の技がこうして生まれるのかと 感動しながらその現場に居合わせている。
デザイナーものも多く よく聞く流行りのファッションデザイナーの奇抜なデザインに目を見張り
または 別なブランドデザインでは10枚近いシルクスクリーンの型でできた凝った柄もある。
多種の生地の上に たくさんの色が溢れ、形が現れ、職人さんのセンスが仕上がりを決定する。 見事だと思わず拍手をしている。
「どうしても 原さんに電話をかけて知らせてほしいと言いますので。」と4年ぶりの懐かしいお母さんの電話の声は、とても嬉しい知らせを届けてくれた。
足の悪かった 少し言葉が不自由だったHくんはアトリエで3年間を過ごして
足の手術のため退会していった。
その彼が 今回25回防災ポスターの防災担当大臣賞を頂き 今度、霞が関内閣府まで表彰をされに行くと連絡が入った。
「彼の力を引き出してくれた学校の先生のお力ですよ」と言うと、
「アトリエでたくさんの画材や素材で、思いのままいろいろなことを あの自由な空間で行ったことが子供の表現につながったんです。子供が 原さんに電話かけてというもんですから 本人に代わります。原さんの所へ行きたいと言っていましたので」
電話口の彼は もうすっかり少年になっていて 「おめでとう 良かったね」というと「ありがとうございます。」と 電話口で照れ笑いが聞こえた。
12歳の彼は 今年中学になるという。
癇癪を起していた彼の顔 原さんの顔と1年間かき続けてくれた顔シリーズはいまだに記憶に残っている。笑みを浮かべた幼顔が浮かぶ。よく泣いていた顔も思い出す。
ネットで作品を見るとしっかりと顔が描いてあった。
コラージュをしてるときがとても楽しそうだったようにその作品も コラージュが施されていた。
年月がたち このアトリエで過ごした日々の延長に こうして電話をしてくれる親子がいてくれることへの感謝で胸を打つ。
あまり話していると 次から次に彼との思い出がよぎり涙が出そうになる。
「元気で頑張ってな」それが精いっぱいの言葉だった。
この十年、自由な空間を提供することに専念しながら、これでいいのかと戸惑った日々もあった。子供たちのそれぞれの成長とともに表現とかかわって悩んだりした日々が思い起こされる。
しかし 退会してこうした電話をいただくことで やっていてよかった。と
感謝したい気持ちでいっぱいになった。
Hくんが、キャンバスにたくさんのテープを貼り電車を描いていた頃を経て、 今しっかりとした主張が感じられた作品への成長は、ハンディを生きる力に変えた強さが感じられた。
泣き虫だった彼は、もういない。